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報告書

基調講演 1

江戸東京舟運に期待する

NPO法人都市環境研究会会長・日本大学名誉教授
三浦裕二

水都江戸と水の東京

  江戸時代の浮世絵には、たくさんの橋や舟が見られます。江戸の人たちは川遊びが上手だったし、好きだったのです。
江戸のエネルギーになるまきや炭も舟で運ばれ、帰りには下肥を郊外へと運ぶという、立派な循環社会が成り立っていました。
  明治35年に幸田露伴が『水の東京』という作品を残しています。江戸・東京の運河と川について非常に科学的な目で詳細に記述しており、東京の水路の案内書とも言えます。
  平成5年に陣内秀信先生が『水の東京』という露伴と同じ名前の著作を残されました。それを見ると、大正初期の日本橋の魚河岸の風景には高層建築はなく、伝統的な様式の町家がつながっていますが、既に煙突から煙が出始めていますね。昭和33年頃、埋め立て前の築地川には貸しモーターボートがあり、遊びの空間としてこの川が残っていました。昭和40年代、高度経済成長、オリンピック後、隅田川が大変汚れました。それでも、便利なので人々は利用していました。
  そして現代、松本零士さんデザインの東京都観光汽船の水上バスには、隔世の差を感じます。

都市の記憶を残したい

  都市の記憶というのは話芸や文学の中、写真だけに残ればいいのでしょうか。何とか形としてその場にとどめたいと思っています。オリンピックで消滅した下町の水路を復活させたいというのが私の願いです。江戸橋のインターチェンジなど、現代の美ではないかという人も確かにいるかもしれません。しかし、このルートは楓川と称して江戸城下町をつくったときの原点なのです。この辺は全部材木河岸であったと同時に、江戸の治安を維持してきた同心、江戸時代を支えてきた文化人の居住地でした。やはりそうした文化を形の上で残していかなくてはならないと思います。

水辺に目を向けよう

  イギリスのコリン・ジョイスさんという知日派の方は、「何で東京の人たちは川を見ないで橋の上を渡っていくのだろう。イギリス人には考えられない」と、「水辺の愛し方を忘れた東京に捧げる」として「Newsweek」に残しています。
  国の河川行政は治水・利水一辺倒で戦後営々とやってきました。97年の河川法改正時に環境が取り込まれ、河川の計画に地域住民が参加すべしという法律になりました。当時の河川局長の尾田さんが、今まで川に浮かぶ舟はちりあくたと考えてきたが、それは間違いだ、皆さん審議していただきたいということで始まったのです。
  三島由紀夫の『橋づくし』に出てくる入船橋は現在ランプになっていますが、川はふたをして駐車場や公園になりその機能はほとんどありません。川としての構造物はしっかり残っているのに、なぜ元の築地川に変え、三島文学の真骨頂をここに再現しないのでしょう。形として都市の記憶を残すためにはまずここを川に戻すこと、いってみれば都心環状線の西半分を放棄しようというような決意が必要ではないでしょうか。